こんばんは
鍛治本です。
昨日、無事に、たすいち『春の短編まつり』の配信公演を行うことが出来ました。
5月22日まで、アーカイブ視聴が可能です。
14時の回、18時の回、それぞれに素敵な短編が盛りだくさんなので、気になった人は、こちらから購入してみて下さい。
14時の回https://v2.kan-geki.com/live-streaming/ticket/288
18時の回https://v2.kan-geki.com/live-streaming/ticket/289
公演が一つ終わると、色んな思いが湧いてくるんですが、やっぱり翌日(今日のことね)は、寂しさが強い。
昨日までは、1日の大半を作品につぎ込み、1日のほとんどの時間を共演者と一緒に過ごして、コミュニケーションをとっていたのに、その日常がいきなりなくなる。
まるで、そんなの元々なかったかのように、煙みたいに消えてしまう(ポエマー鍛治本発動)
作っては、すぐ壊す。つくづく変な仕事だな、と思う。
ましてや、今回は、2週間前の緊急事態宣言を受けての、配信公演への切り替え、演目の変更、そして、演出家の入退院からの怒涛の日々だったので、あっという間な気もしているけど、2ヶ月ぐらいやっていた気もしている(アインシュタインもびっくり)
こういう非常事態は、もちろん無いに越したことないんだろうけど、非常事態だからこそ、己の信念というか、大切にしていることが見えてくる気がしている。
今回もたくさん、発見があった。
まず、「他者に影響を与えようとする」ということ、を自分は演劇の中で大切にしたいんだなということ。
「演技はリアクション」「相手をよく見て」「相手の芝居に反応して次の芝居を生む」
演劇でよく言われることだし、その通りだと思う。
でも、我輩が(我輩?)ここ最近、それに加えて思うのは、相手に影響を与えようと行動することで、相手の出方が気になって、それにリアクションできるんじゃね?ってこと。
つまり受け身の姿勢のままだと、何も生まれない、扉を開けよってこと。
恋愛と一緒(37歳独身)
特に今回は、1ヶ月かけてじっくりと稽古できる環境になかったし、緻密に緻密に作り上げていくということよりも(もちろん詰められるところはやりつつ)、共演者にいかに刺激を与えられるかを個人的には考えていた。
それは、登場人物としてだけではなくて、どんな形でも、毎回新しい何かの刺激を与えられたらいいなという思いになっていった。
人に触れる、大きな声を出す、がっつりとコミュニケーションをとる、が難しいご時世ではあるからこそ、演劇では、それを大事にしたかったのかもしれない。
あとは、やっぱり劇場が好きなんだな、と再確認した。
配信公演だから目の前にお客さんはいない訳だけど、そこには、たくさんの先輩たちの汗と涙と血(は、やばいだろ)が、お客さんの笑い声や拍手が、しみ込んでいる気がした。
「劇場に集う」ということが僕の中では特別なんだと思う。
でも今回、スタッフさんたちの緻密な調整の結果、配信ではありながら、画面の向こうのお客さたちも「集う」感覚があったんじゃないかな、と淡い期待を抱いている。
早くまた集まりたいね。
そして、そして、僕は、やっぱり「劇団」が好きみたい。
劇団っていう集団は、決して完成形ではない、スマートでもない集団なのかもしれないけど、そこには「成長」が詰まっていて、その過程を共有していく面白さがある気がする。
僕は間違いなく劇団に育てられた。
今回も、作演出の目崎さんが緊急入院して稽古場から姿を消してから(改めてなんじゃそりゃ笑)、劇団員のみんながメキメキと頼もしくなった気がした。
短編の稽古の仕切りやりながら、自分の稽古もして、スタッフワークも分担して、それはそれは大変だったと思う。
みんな本当によく頑張ってた。すごいよ。
昨日まで、同じ方向に向かって走っていた訳だけど、今日からは、また、それぞれの次の活動に向かって走り出す。
やることが叶わなかった『魔族会議』
お披露目はできなかったけど、稽古で発した言葉や、感じたことは、確実に自分の身体に刻まれてて、その全部が今の自分を構成している要素になっている。
いろんな事情で共演が叶わなかった『魔族会議』のメンバーとの時間もそう。
あの時間があったから、昨日まで走れた。
また、それぞれで走っている導線が交差して、再会できたら嬉しいね。
ありがとうございました。
以下、配信スクリーンショットより
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