こんにちは
その為にやってたんだとハッとした鍛治本です。
今日もしつこくワークショップの話。
僕に来る質問の中で一番多いのが、やっぱり「ついていけるか心配なのですが」というもの。
大きな誤解というか、安心してほしいのが、僕のワークショップは「技術を教える場ではない」ということ。
いや、もちろん身体をほぐしたり、腹式呼吸にチャレンジしたりはするけれど、「ついていく」必要が一切ない。
「ついていく」というからには、「他者」とか「周りのみんな」とかが想定されていると思うけど、
誰かと比べる作業は意味がなくて、「自分に意識を向ける」時間でしかない。
だからついていけるかどうか、全く気にする必要がない。
もう一つ多いのが「人見知りなのです」という心配。
僕も人見知りだ。
だけど、人見知りって限りなく他者に意識が向いている状態だよね。
「集団に溶け込めなかったらどうしよう。自分一人だけうまく話せず輪に入れなかったらどうしよう」と。
仮に、行った先にいた人たちと「あ、合わねえな」と思ったら、打ち解ける必要はないと僕は思う。
それで「なんだあいつ」と思われようがが、それはお互い様なので気にする必要がない。
上の二つの質問で思うのが、結構な人が「集団に打ち解けて、みんなが一緒にやることを無難にこなさなければいけない」と無意識に思っているということ。
いや、もちろん、仕事や日常のコミュニティでは必要なことなのかもしれない。
でも、僕のワークショップでは、全っっっっっっっっっっったくいらない。
というか、むしろその無意識の扉を開ける為にやっている。
日常がそうなんだから、そんなこと気にしなくて済む1日にしようぜっていうこと。
失敗して周りの人にどう思われても構わない。好きにやってみよう。大きな声出してみよう。思うままに動いてみよう。
でも、何かあなたが失敗(本当は失敗なんて存在しないんだけど)した時、それが思いっきりやった結果なら、周りはなんとも思わない。
失敗しちゃいけない、失敗したら恥ずかしいと思っているのは、それで行動を制限しているのは本人なんだ。
そのこと演劇を通して僕は気付いた。
気付いてからも、日常を生きてるとその意識はモヤモヤと出現してくる。
あいつは手強い。
だから、ワークショップでは、失敗や恥を気にせずみんなと楽しみたい。
冒頭にいつも説明するのだけど、僕のワークショップは、途中参加、途中退場、途中飲食、途中でコンビニ、なんでもOKだ。
好きな時に、好きなように喋ってもらって構わない。
唯一の禁止事が、「謝ること」
何かやってできないと人はつい「すみません」といってしまう。
これも日常で何かやらかしたら謝るのは礼儀だけど、ワークショップでは禁止!
なぜなら、稽古に「失敗」なんて存在しないから(現場によってはあるのかもしれないけど、少なくとも僕はないと思っている)
むしろ、その場では「失敗」に見えたことにふんだんにヒントが埋まっていることが多い。
稽古は、そのヒントをいかに掘り出せるかが大事だと思うから、むしろある意味での「失敗」は大歓迎だし、むしろ褒められるべきものだと思う。
年齢も性別も、普段の仕事も、大事な価値観も違う人同士が1日集まって、なんのしがらみもなく演劇を遊ぶ。
僕はこの時間がたまらなく好きだ。
あなたにも是非仲間になってほしい。
勇気がいるのは、最初の一歩だけ。
直近だと7月28日(日)
まだ若干名参加出来ます。
kajimoto.workshop@gmail.comまで。
ワークショップ、いつか参加したいです…
次回開催はいつ頃でしょうか?
早めに告知していただければありがたいです。