宮崎に帰ってました

こんにちは
鍛治本です。

突如として思い立って、生まれ育った宮崎に帰ってみた。

ちょっとした用事がきっかけだったのだが、宮崎に帰るのは実に10年ぶり。

前のブログでも書いた通り「グリーン・マーダー・ケース」が終わってから、仕事をしながらもなんだかぼんやりとしてしまうことが多かった。
5月病みたいなものかもしれない。

そんな状態の気分転換も兼ねて、思い切ってホテルを予約し(実家がもうないのです)、成田からの飛行機のチケットを予約した(羽田からより断然安い)

二泊三日。到着したのは18時を越えていたし、帰りはお昼過ぎには電車に乗らなければいけない。
だから、しっかりと宮崎を堪能できるのは実質1日。

でも、結果、とっても素敵な滞在になった。
いろんな人との再会、そして新たな出会いもたくさんあった。

宮崎空港を降りてすぐ、空気の違いに感動した。

「宮崎の匂いだ」
観光PRで絶対に採用されないであろうダサダサな言葉を呟いてしまっていた。

でも、生まれ故郷の独特の空気(だと本人は思い込んでいる)がとても好きだ。

気温はそこそこあるはずなのに、ジメジメしていない。

宮崎空港から生まれ育った延岡市までは電車で2時間弱。

飛行機が成田から飛んでいる時間とほぼ同じ時間、また移動しなきゃいけない。

でも、全く苦にならない。

懐かしい風景をひたすら見続けていた。

都会の街並みらしきものはすぐに消えて、見えてくる田んぼと畑、そして、すぐそこに広がる海。

ずっと見てられる。

あっという間に延岡に着いた。

僕が知っている延岡駅ではなく、随分と洒落た駅になっていた。
駅前にはスタバが(何やらすったもんだあったらしいがそれは割愛)

駅を降りて予約したホテルまで歩く。

土曜日の夕方。なのに人がいない。

日本一の大きさの弘法大師像で有名な今山大師寺に続く商店街も僕が学生だった頃は、もっと賑わっていた。
とにかく人口が減っているらしい。

懐かしさと一緒に寂しさも感じた。

翌日には、自分が住んでいた地域にも行った。

今はもう実家は、他の方の持ち物になっているので、こっそりと前を通り過ぎた。

通っていた小学校までの道を歩いていると、あまりの懐かしさに息が止まるかと思った。

確かにここに住んで、育ててもらった。
そのおかげで今の僕がいる。

このタイミングで帰って来れてよかった。

懐かしい友人たちにも会えた。

みんな家族を持っていてなかなか時間を取れないので、全員というわけにはいかなかったけど。

友人がやってる素敵カフェで。

卒業以来あった同級生には10歳のお子さんが!(いや、それが普通なんだけどね)

20年ぶりに会ってもすぐわかるぐらい変わってなかったけど、しっかりお母さんにもなっていて、なんか「すげえな!」と思った(←語彙力10歳以下)

早くに旅立った友人の話、子育ての話、仕事の話、人生の話。
18歳の時には話せなかった話をたくさんできた。

後輩とは、なんとか仕事で延岡に呼んでもらえないかを話し合い(観光大使のオファー待ってます!)

子供の頃、酔っ払って我が家によく乱入していた父親の元同僚と、初めて乾杯した。

偶然の出会いもたくさんあった。

カウンターの隣に偶然座ってたのが、これまた父親の会社の元同僚の方だったり、後輩と入ったお店の大将の息子さんが俳優を目指してたり。

やっぱり旅は面白い。

いや、やっぱり故郷はいい。

たくさん元気をもらえた。

またすぐ帰りたい。その時に、いいニュースがたくさん持って帰れるようにまた頑張ろう。

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