本当の出会いとは

こんばんは
鍛治本です。

経験値が蓄積することは、悪いことじゃない。

いろんなことがスムーズになるし、人間はいろんなことを日々学習しながら、成長していく。

ただ、朝走っていてふと、思った。

いろんな考え事をしながらも、ほとんど自動的に足を動かしていつものコースを、いつもの角を曲がっていく。
これは、まさに経験の蓄積がなせる技で、いつのも歩数走ったら、曲がるべき角があることを頭と体は知っている。

それどころか、「地面」というものが、固く丈夫であること、「自動車が来たら避けないと危ないということ」、いろんなことをこれまで学習して覚えていて、なんなら、話している相手の声がちょっと聞き取れなくても、前後の文脈や、表情、その人との今までの関係性や性格などから、何を言ったのか予想したり、あたかも聞こえたかのように脳が補正したりしてくれる。

本当によくできている。
「ありがうとございます」と書いてあっても、勝手に脳が「ありがとうございます」と変換して読むことだってある。

しかし、日々経験が蓄積するということは、毎日世界に対する新鮮さを失っていくということでもある。

眼に映るものが、例え、初めてみたものでも、今まで見た近いものにカテゴライズされ、安心している。

今日の朝は、それをやめて走ってみた。

面白かった。

まず、走るとはってところから始まる。

足を交互に動かし、かつ、体重を片足に思い切り載せないと進まない。

当たり前だと思ったそこのあなた、そうですよね。
僕らは、経験をしているから。

でも、なんで走るのか、体のどこが一番先に走るという動作に反応するのか、僕らは実は知らなかったりする。

いちいち新鮮な驚きがある。

そもそもが、立っているという状態でさえ、不思議に感じられた。

何かに引っ張られている。
もちろん重力なんだけど、重力って言葉が存在しない時代、ニュートンがりんごを落ちるのを目する前(こう考えると、どえらい天才だな、ニュートンは)は、何かに引っ張られているということすら認識できていなかった。
と考えると、世の中がもうまるで違うものに思えた。

言葉は本当に偉大な発明品だ。

だけど、僕らは、本当の意味で、言葉を獲得しているのか。

体の感覚と言葉の感覚がぴったりと一致しているのか、身体の感覚から出てきた言葉を使えるならば、人をえぐるような、罵りはたやすく出てこないんじゃないかとも思った。

役者という言葉を商売道具にしている僕らが言葉と身体をもっと大切にするべきだな思った、朝でした。

明日はどんな驚きが待っているだろう。

楽しみ。



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